球都の歴史デジタル

球都桐生TOPICS

1945

終戦間もない1945年11月に東西対抗戦(現在のオールスター戦)の第2戦を新川球場で開催。その翌日に行われた東軍vs全桐生(オール桐生)カードは延長戦の末、全桐生がプロ野球選手を集めた東軍に勝利を収めた。

1954

球都桐生の礎を築いた稲川東一郎氏。桐生高校野球部監督としての輝かしい実績だけでなく、1954年には野球道場「敬道館」を創設(後に修道館)。大学、社会人、プロ野球界へ数多くの優秀な選手が巣立っていった。

1978

桐生高校が春のセンバツ12度目の出場でベスト4に。後に早大ー東芝に進んだ投手の木暮洋さん、「王二世」とも言われた強打者の阿久沢毅さんを投打の中心に甲子園を沸かし、日本中にブームを巻き起こした。

1999

第81回夏の甲子園大会において桐生第一高校が2年連続4回目の出場。群馬県勢としては初の高校野球全国制覇を果たす。左腕エースの正田樹投手はその年のドラフトで日ハムから1位指名を受ける。

2022

樹徳高校が夏の甲子園に30年ぶりに出場。同年、桐生市が9月10日を「球都桐生の日」と制定。
桐生新川球場跡(現:新川公園)が日本野球聖地・名所150選に認定。

PICK UP
CONTENTS

球都桐生の歴史を創った『桐生のとうちゃん』

『稲川東一郎』とは

野村克也氏の代名詞であった「ID野球」を、戦前の当時から行っていたとされている稲川氏。日本のデータ野球の祖と言っても過言ではない『桐生のとうちゃん』はどんな人物でどのような野球観を持っていたのか。後世にも大きな影響を与えた同氏を良く知る方々にインタビュー。

高校以上の全カテゴリーで日本一監督を輩出

桐生の『七人の名将』紹介

高校野球、大学野球、都市対抗、プロ野球、還暦野球の5つのカテゴリーにおける日本一の監督を生み出した球都桐生。それぞれの名将の野球に対する姿勢や考え方をインタビュー。
ここでしか見られない日本一監督の本音をご覧ください。

『全桐生(オールキリュウ)』

昭和20年の夏に終戦を迎えた3か月後、桐生の地で戦後初の野球が東西対抗戦(オールスター)としてスタート。稲川東一郎監督率いる『全桐生』とプロ野球東軍との大熱戦は戦後の桐生や日本に野球の力で希望を与えました。 『全桐生』は今の球都桐生の原点とも言える奇跡のチームなのです。

球都桐生の熱源。全国でも類を見ない

桐生の『高校野球』の歴史

昭和2年に桐生中学(現:桐生高校)が夏の甲子園大会に初出場したのを皮切りに、桐生市内にある6校のうち5校が甲子園出場校という全国でも類をみない野球のまち。各高校野球の歴史を振り返り、改めて球都と呼ばれる所以をお伝えします。

球都桐生の聖地。桐生野球の歴史を紡ぐ場所

『桐生新川球場(現:新川公園)

昭和3年に誕生した球都桐生の聖地とも言える場所。戦後のプロ野球の夜明けはこの地から始まったとして「日本野球 聖地・名所認定」を受ける。こけら落としで行った東京六大学野球の試合を受け、2023年には東京六大学野球オールスターゲームを桐生で開催するなど、歴史を紡ぐ球都桐生の聖地。

球都桐生展デジタル

球都桐生にまつわる歴史品の数々をデジタル化。情報、アイテムなど随時追加予定!