球都桐生

“球都”とは

全国には都市や地域を形容する呼称として様々なものがあります。
「球都」はそんな中の一つで、野球が盛んなまちを呼ぶ言葉としていつの頃からか使われてきました。

桐生の実績

桐生は、
・市内の高校5校(桐生高校、桐生工業高校、樹徳高校、桐生第一高校、桐生商業高校)が甲子園出場・桐生中学(現:桐生高校)を率いて日本の野球に大きな影響を与えた稲川東一郎氏・戦後に新川球場(現:新川公園)にてプロ野球東西対抗戦が開催(プロ野球東軍相手に全桐生が勝利)・高校野球、大学野球、プロ野球、社会人野球、還暦野球といった各カテゴリーにて日本一の監督を輩出・新川球場跡(現:新川公園)が日本野球聖地・名所150選に認定など、全国的に見ても随一の野球関連の実績を持ち、地域や市民と野球との関係性が非常に強いまちであり「球都桐生」と呼ばれるようになりました。

球都桐生
プロジェクト

桐生市では野球をテーマにした公民連携による地域活性化事業「球都桐生プロジェクト」を推進しています。
2022年度に「球都桐生の日(9/10)制定」、2023年度には「東京六大学野球オールスターゲーム2023in桐生」を関東初開催し、5,039人を動員しました。また2023年WBC優勝監督の栗山英樹氏によるシンポジウムも開催。野球を起点とした様々なイベントを行なってきました。2024年度も「桐生野球力向上」「桐生ブランドの認知拡大」を図る様々な取り組みを起こしていきます。

市長メッセージ

球都桐生TOPICS

1945

終戦間もない1945年11月に東西対抗戦(現在のオールスター戦)の第2戦を新川球場で開催。その翌日に行われた東軍vs全桐生(オール桐生)カードは延長戦の末、全桐生がプロ野球選手を集めた東軍に勝利を収めた。

1954

球都桐生の礎を築いた稲川東一郎氏。桐生高校野球部監督としての輝かしい実績だけでなく、1954年には野球道場「敬道館」を創設(後に修道館)。大学、社会人、プロ野球界へ数多くの優秀な選手が巣立っていった。

1978

桐生高校が春のセンバツ12度目の出場でベスト4に。後に早大ー東芝に進んだ投手の木暮洋さん、「王二世」とも言われた強打者の阿久沢毅さんを投打の中心に甲子園を沸かし、日本中にブームを巻き起こした。

1999

第81回夏の甲子園大会において桐生第一高校が2年連続4回目の出場。群馬県勢としては初の高校野球全国制覇を果たす。左腕エースの正田樹投手はその年のドラフトで日ハムから1位指名を受ける。

2022

樹徳高校が夏の甲子園に30年ぶりに出場。同年、桐生市が9月10日を「球都桐生の日」と制定。
桐生新川球場跡(現:新川公園)が日本野球聖地・名所150選に認定。

Pick Up 球人きゅうと

桐生や野球にまつわる様々な方をリレー形式でインタビューしていきます。

球人インタビュー

桐生市の野球界で活躍する・発展に寄与している”人”を紹介していきます

桐生のとうちゃん

球都桐生の歴史を創った『桐生のとうちゃん』

『稲川東一郎』とは

野村克也氏の代名詞であった「ID野球」を、戦前の当時から行っていたとされている稲川氏。日本のデータ野球の祖と言っても過言ではない『桐生のとうちゃん』はどんな人物でどのような野球観を持っていたのか。後世にも大きな影響を与えた同氏を良く知る方々にインタビュー。

球都桐生
球場探訪

桐生球場小倉クラッチ・スタジアム

1969年に開業し、甲子園予選、プロ野球、ソフトボールリーグの試合も行われた桐生市の中心的な球場。2023年8月の「東京六大学野球オールスターゲーム2023in桐生」では5,039人を収容し、歓声と熱気が球場を包み込んだ。

広沢球場南公園

桐生市南公園の一部として市南部の丘陵地にある球場。周辺にはテニスコートや運動広場、野外ステージなどが併設されています。

境野球場

1964年の開場以降、数多くのアマチュア野球チームが利用してきた渡良瀬川沿いに位置する解放感抜群の球場。軟式専用グラウンドとして幅広い世代に親しまれている場所です。

ふるさと納税
寄付のご案内

球都桐生プロジェクトは公民連携事業であり、関わって頂ける全ての方々が主役です。
野球を活用した桐生の活性化への取り組みは、スポーツを活用した地域活性のモデルとなる可能性を持った全国的にも新しい取り組みとなります。
ぜひ、「ふるさと納税」という形で球都桐生プロジェクトに関わっていただき、桐生からはじまる新しい地域の価値創造に一緒に取り組みませんか?