高橋正志監督「桐生のブランドを背負って戦っています」

現在桐生商高を率いる高橋正志監督は、桐生第一高を卒業後すぐにコーチへと就任し、1999年には全国制覇に貢献した。
その後、社会人で大学に進学し教員資格を取得すると、2010年に桐生商高に着任しコーチ、そして19年4月から監督の座に就いた。
翌年から始まったコロナ禍を経て現在も指揮を執る高橋監督には、自身が掲げる野球のスタイルがあった。
福田治男監督からの誘いで19歳から指導者に
私の野球との出会いは小学校一年生の時ですかね、町内野球があったのですが遊びがてらやらせてもらったのがスタートです。
そこから少年野球で本格的に始めて、中学校の野球部に入りました。桐生第一高で硬式をやったのちに選手としては終えました。
というのも、福田治男監督から『(桐生第一高)野球部のコーチをやらないか』と声をかけていただいて、卒業後からお世話になった形です。
19年に桐商の監督をさせてもらっていますが、まず守りを重視しています。無駄な失点を出さないように。1つのミスから大量点につながることが野球では起こり得ますから。
あと基本的な考え方としては、ファインプレーはいらないので捕れるボールをきちんと捕ること。 それから相手の胸にきちんと投げることです。
守備に関してはほぼほぼこの2つで完成されるものであって、ミスもこの2つのどちらかが絡むのが野球ですので、言葉では簡単に言えますが、野球の中では本当に難しい部分ですよね。毎日ここを意識して練習をしています。
悔しい思い出として刻まれたコロナ禍の記憶
毎年毎年が印象に刻まれていますが、一番悔しい思いとして残っているのが2020年ですね…
コロナが始まった年で練習もできず、大会は地区大会という形で開催してもらってありがたかったんですけれども、前橋育英さんと試合をして手も足も出なかったというのがただただ悔しい思いでしたね。
甲子園を目指して桐商の門を叩いて入学してくれた生徒たちが、まともに野球すらできなかった。あの時の印象はずっと残ってますね。
オンラインで全員と話をしてトレーニング方法をやりとりして、『モチベーションを切らさないようにやろう』と声をかけてやっていました。
実は、当時の選手たちが2名教育実習生として母校に帰ってきてくれまして、当時の思い出を語ったりもしましたよ。
地域の子どもたちと部員が交流
我々は地域との関わりも大切にしています。例年、子ども食堂さんのイベントにボランティアとして参加させてもらっていまて、この冬もお伺いしました。
昨今野球人口が減っているという状況の中で、まだ野球に携わったことのない子どもたちに向けて小さな球場をつくって野球を体験してもらうと。
柔らかいボールとバットを使って、前からトスしたボールを打つ。フェンスで囲った形にしているので、ホームランを打つ感動を味わ得るんです。これをきっかけに『野球って楽しいな』思ってもらえたらいいなと。
生徒たちが考えて企画して行うのですが、当日は200人ほどの子どもたちが参加して、みんなホームラン打っていましたよ。その子どもたちと接した野球部の生徒たちがきちんと対応している姿を見ていると、『ああ、成長したなあ』なんて思っていました(笑)。

「桐生のブランドを背負って戦う」
夏の大会というのは何が起きるのか分からないので、初戦から“一戦必勝”で積み重ねていこうと考えています。まず第一目標はベスト8。
そこから3試合、準々決勝・準決勝・決勝とありますけれども、この上位に入った時の戦い方っていう部分に関して、公立高校はしっかり対策・準備をしていかなければいけないです。
野球とは流れのスポーツなので、流れを落とすような試合運びを防ぐこと。ミスが出たとしても流れを相手に渡さない展開を作れる。 そういったチームを目指そうということでやってきました。
桐生のブランドを背負って、プライドと誇りを持ってこの夏も戦っていきたいと思います。