選手そして監督として甲子園出場の井達誠監督「甲子園に行くなら桐生」

令和に入り、桐生の高校で唯一甲子園出場を果たしているのが樹徳高校。その指揮を執っているのが、選手時代に同校初、そして2年連続甲子園出場を主将として牽引した井達誠監督である。
選手そして監督の両方で甲子園へと導いた樹徳の英雄は球都桐生に憧れ、そして夢を掴んだ経験があった。
「甲子園に行くなら桐生の高校」
野球を始めたのはいつでしょうかね、物心ついた時にはやっていたと思います。樹徳を選んだのは、少年野球の時に桐生のチームと対戦してもなかなか勝てなくて、『桐生は野球が盛んで強い』という印象をずっと持っていました。
私は大泉町出身で桐生ではないですが甲子園に行きたくて、高崎や前橋にもいいチームがあって迷っていたのですが、その夢を叶えるのなら桐生の高校だなと思って樹徳高校を選びました。
桐生は野球のレベルが高いとその当時から思っていましたし、来たらやはり野球熱も高くて実際に甲子園にも出させてもらった。 高校2年・3年と出させてもらった時、私の同期は桐生出身の選手がほとんどでした。
当時甲子園に行った時も桐生と聞くと、他県の選手みんな知っている。甲子園でも活躍してきた歴史があるからだと思います。
22年に監督として甲子園に行った時もエース(亀井颯玖)は広沢中で、甲子園出場を決めるウイニングボールをつかんだ選手も桐生境野中の選手でしたから。
桐一との惜敗で味わった悔しさを糧に
印象に残っているのは、2008年の夏(監督として)初めて決勝戦に進んだ時、桐生第一の福田(治男)監督と対戦した時ですね。1-2とあと一歩のところで負けてしまったのがすごく悔しくて、今でもそれを忘れずに刻んでいます。
“ここ一番の勝負!”となってしかも相手は桐一ですから。戦術・戦法も含めて何が足りなかったのかなと考えたら日頃の姿勢なのかなと。
特に我々の野球部は地元桐生出身の生徒が多いので学校生活や家庭での生活などね。
友達や家族との付き合い方、コミュニケーションを自分で自覚してないとなかなか野球にもうまくつながっていかない と思うんですよね。
野球もその延長線上にあると選手たちには伝えています。そういった話をし続けてきたおかげで、3年前の甲子園出場という結果も勝ち取れたのだと感じています。