木暮洋×阿久沢毅スペシャル対談ページ

木暮洋×阿久沢毅 特別対談!78年春につくったあの伝説が紐解かれました

2日目となる8月24日、「球都桐生ラボ」で木暮洋さんと阿久沢毅さんによる特別対談が行われました。

1978年、桐生高校を春夏連続甲子園に導いた桐生のスターが集結。春のセンバツで26イニング連続無失点記録を樹立したエースと、そ王貞治氏以来となる2試合連続本塁打を放った主砲が“今だから語れる」”光の裏話を披露しました。

一度は野球から離れた木暮さんが再び戻った理由は?

木暮氏と阿久沢氏は、1978年に桐生高を春夏連続で甲子園へと導いたエースと主砲。特に春ではベスト4まで進出しました。

エースそして4番も務めた木暮氏は、同年春のセンバツで26イニング連続無失点の記録をマーク。その快投から「東の木暮、西の津田(恒美:元広島)」と当時評されました。

阿久沢氏は主に3番打者を務め、同じく春のセンバツで2試合連続本塁打を放つ活躍を見せています。この記録は王貞治氏が早実時代に達成して以来の快挙ということから“王二世”と、こちらも全国的な注目を集めました。

現在もたびたび顔を合わせるという2人は、息もぴったりでユーモアあふれるトークが展開されていきます。

まずは2人が桐高野球部の門を叩いたきっかけから。阿久沢氏は中学時代に群馬県屈指の投手として名を馳せており、県大会を優勝するなどの実績を残していました。

そんな中で、当時春夏計24回の甲子園出場を誇る名門に選んだ決め手を語ります。

「私は中学の時に桐高の練習に見学に行っていて、その時当時監督だった関口(信行)先生や、我々の先輩に当たる選手の皆さんみんなでボール拾いを一緒にやってまして、その雰囲気がいいなと感じたんです。

プレッシャーがかかりすぎずに自分の力が発揮できるかなと思いまして、そこで選びました」

一方、木暮氏は入学してから1ヶ月以上経った5月に入部。実は当時は同じ投手だった阿久沢氏の存在もあり、野球にピリオドを打つことも考えていたといいます。

「阿久沢くんは当時183cmで体重も100kgという体格があって、県大会優勝した選手が入るということで、入部をためらっていました。

それで2ヶ月近く過ごしていたのですが、両親が運動好きで特に母親が『洋!お前も男だったら勝負してみたらどうなの!』という言葉に背中を押されまして、挑戦することになりました」

春のセンバツ出場に向けた県大会前に最大の危機が

入部後は阿久沢氏は主に野手として、そして木暮氏も投手として早くから頭角を表し、1年生から試合に出場を続けていました。そして2年の夏に新チームになり、のちの快進撃へとつながっていきます。

しかし、春のセンバツを目指した秋季大会を1週間前に控えたところで、練習中に大事件が起きてしまいました。

「こちらの大砲(木暮氏が阿久沢氏を差して)骨折。部員が15人しかいない中で4人ほどはあまり試合に出ていない選手だったので大丈夫かなと不安になりましたよ」

当時怪我をした右手首を示した阿久沢氏は、秋の県大会へ出場することができなかった。しかし、自身が離脱したこの期間を「木暮洋が出来上がった期間だと今でも思っています」と語ります。

「 その県大会を勝ち上がっていくにつれてたくましくなって。 メンタルが強くなる小暮洋をこの1カ月間で感じました。 なので、木暮洋のベースはそこで出来上がったと思いますね」

木暮さんもその時の心境を続けて明かしました。

「彼はピッチャーでもあったんですよ。 なので全部自分が投げなければならない状況だだったので、頑張らなきゃいけないなと。そんな気持ちで秋の大会を戦いました」

そして、当時のエース松本稔氏(現桐生高監督)擁する前橋高との戦いを制し、県大会優勝。そして関東大会へと進みます。

阿久沢氏は関東大会1週間前にギプスが外れ、早速戦列へと復帰。その時まだ右手は固まった状態だったそうですが、「この関東大会の時期でさらに上手くなった気がしました」と述べます。

木暮氏も「左手1本で5割打った男ですよ」と語り、「教えてほしいですか?」と阿久沢氏も笑みを含みながらその技を明かしてくれました。

「シンプルに左肩の前で打つイメージなんです。 すると三塁側に全部飛ぶんですよ。あの期間が転期になって、左手を使う感覚って大事だということに気づきましたね」

主砲が復帰し、関東大会ベスト4まで進んだ桐生高は関東大会で決勝まで進んだ前橋高、そして両校を破り優勝した印旛高(千葉)の3校が78年のセンバツ出場校として選ばれました。

“桐生旋風”のきっかけとなった一打

そしてトーク中盤から“本題”でもある甲子園でのエピソードへと移っていきます。まず木暮さんが聖地にマウンド初めて立った時の心境を語りました。

「初戦の豊見城(沖縄)がすごく強かったんですよ。後にプロで活躍する石嶺和彦(元阪急・阪神)やDeNAにいる神里和毅のお父さんとかがいて、1回戦で『これはすごいな』と思っていました。やはり緊張しましたし、1回表に1点取られてますます不安になりましたよ」

しかしその裏に阿久沢氏のタイムリーで2点を取り逆転。この援護が木暮さんを緊張から解き放ち、その実力が発揮されることになったと言います。

「そこからが僕の始まり。2回表からその次の試合、さらに次の試合も完封ですよ。勢い付いたらどんどん抑えられましたね」

甲子園のマウンドで躍動する木暮氏

この一打は木暮氏の快投だけではなく、阿久沢氏自身の快挙そしてチームがベスト4へと向かうきっかけになるなど、さまざまな伏線とも言えるものでした。当時の打席を鮮明に振り返りました。

「最初の打席なので、とりあえず振ろうと決めていたんですよ。初球ボール球でも振ろうと。 それで、1球目を空振りしたのですが、その次の球を打ったら、打球がセンターに伸びていったんです。

ワンバウンドでフェンスに届いたのですが、感触としてはドン詰まりでした。なのでちゃんと芯に当たったら、バックスクリーン中段まで行ったじゃないかなという感覚でした」

そして次の岐阜戦と準々決勝の郡山(福島)戦で放った2試合連続本塁打。この20年前に早実・王貞治選手がマークして以来ということで、“王二世”という称号が与えられました。

初戦から打棒を発揮した阿久沢氏

ここでMCを務めた小野塚康之氏(元NHKアナウンサー)から、2試合連続本塁打を達成した時の談話を紹介。

「2本目を打ったとき、内角の真っ直ぐでした。 振り下ろしただけなんです。 え?王さん以来の連続ホームラン?あまり関係ないと思います」

これを聞いた阿久沢氏は「その通りです!」と断言し、会場を笑いに包んだ。

なおこのセンバツは桐生高が大記録と共にベスト4へと躍進するとともに、前橋・松本投手が初戦の比叡山高(滋賀)で完全試合を達成しています。

甲子園では史上初、今も2人しか達成されていない大記録であり、群馬県の高校野球を全国に轟かせた大会でもありました。

最後の甲子園で生まれたそれぞれの名言

センバツでの活躍を評価された桐高の評価は全国へ広がりを見せます。その後大阪へと招待され、同年の夏の甲子園で“逆転のPL”と称され全国制覇を成し遂げるPL学園と練習試合で対戦。

阿久沢氏は金石昭人投手(広島ほか)から2打席連続本塁打を放つなど、実力をいかんなく発揮しました。そしていよいよ高校生活最後の夏、桐生市民そして群馬県民の期待は全国制覇へと高まっていきます。

2人はここで顔を合わせながら「プレッシャーがかかった」と揃って述べたほどでしたが、その重圧をはねのけて県大会を勝ち抜き、春に引き続き甲子園出場を決めました。

甲子園では初戦の膳所(滋賀)には18-0と快勝し、続いて岐阜商戦へ。終盤まで木暮氏が力投し互角の展開だったものの、守備の乱れもあり先制をされると力尽き、0-3で全国制覇には届きませんでした。

試合後、「弱冠18歳の木暮青年が発した言葉。あれが良かったんですよ」と語るほどのコメントを自ら紹介すると、会場から拍手が沸きました。

「1つのエラーで崩れるようでは、エースとは言えない。 僕はエース失格です」

また阿久沢氏も敗退が決まった日、将来を予言するかのような言葉を残していました。

「『甲子園が50年後も続きますように』って言ったんですよ。本当にそう思って発言したんです」

こうして、伝説を残した桐高の戦いの幕が降りました。

最後に参加者へメッセージ

最後は来場した桐生市民そして野球ファンの方たちに向けて、感謝と球都桐生プロジェクトについてメッセージを送りました。

「桐生といえば野球というのが根付いていますので、さらにそこからスポーツ全体の価値を考えられると思うんですね。プレーしている方たちの想い、観ることによる感動などさまざまな波及効果があります。

球都桐生プロジェクトは野球を通じた取り組みということで私ももちろん賛同していますし、これからも協力できることがありましたらどんどんやっていきたいです。」(木暮氏)

「今、学校を取り巻く環境が変わっていると感じています。我々の力で、子どもたちが野球そしてスポーツに取り組む環境をしっかり作ってあげることも大きな仕事だと感じています。

その点ではここKIRINAN BASEで活動している子どもたちもたくさんいると聞きましたし、独自のやり方で桐生の子どもたちがスポーツに親しんで、そして大きく羽ばたいてくれたらと思っております」(阿久沢氏)

会場となった球都桐生ラボはすぐに定員で埋まり、市民そして往年の活躍を知るファンは当時へ戻ったかのようにその栄光を肌で感じました。

なお、「球都桐生の歴史」コーナーでは、『左腕の栄光』を公開中。全3回にわたり、トークショーでは語り切れていない内容もありますので、ぜひご覧ください。