
武藤賢治 元監督と共に振り返る2002年県大会
前回からの続き、いよいよ夏の県大会突入。それぞれの試合を冷静に分析する武藤賢治氏の言葉を紹介する。
【2002(平成14)年 第84回選手権群馬大会】
(1)中井投手の力投、主将新井の大黒柱バッテリー
武藤氏「甲子園への原動力は、なんといってもエース中井が6試合すべて投げきり失点4、捕手の新井主将が2本塁打と、バッテリーが文字通り「大黒柱」として攻守の要で力を発揮してくれたことが最大の要因です。」
(2)大会経過
夏の大会前の絶好調だった打線が影を潜め、大会に入っても予想外の「守りを中心」の試合展開になった。武藤氏「甲子園出場校中最下位の打率だったのでは…」
① 二回戦 対東農大二 4-0
いきなり強豪との対戦だったが、キャプテン新井選手のホームランで勝負あり。
② 三回戦 対高崎工 3-2
コンディショニングに細心の注意を払った試合。梅雨明けの暑さに加え、第3試合という猛暑の中、予想通り「暑さとの戦い」苦しい試合だった。延長サヨナラ勝利。
③ 四回戦 対榛名 3-1
故・境原尚樹監督(高崎高校で選手、監督としても甲子園出場の経歴の監督)率いる、少しずつ力をつけていたチームで、2000(平成12)年82回、2003(平成15)年85回群馬大会にベスト8進出している。勢いのあるチームだったが、無難な勝利。
④ 準々決勝 対館林商工 5-0
武藤氏「内容的にはコールド勝ちしてもおかしくないゲームだった。」当時の高野連のある役員から「結果的にはかえってコールド勝ちしなかったことが、先々の勝ち上がりが締まったのではないか。」とコメントをいただいたそう。
⑤ 準決勝 対桐生第一 2-1
言わずと知れた3年前の1999(平成11)年第81回大会全国優勝している桐生第一との市内対決、「桐一不敗神話」を破った試合。武藤氏「バント処理で相手のチャンスを2度摘み取ったのが大きかった」ディフェンスの勝利!
⑥ 決勝 対太田市商 1-0
両チーム無得点の最終回裏、三番右前打、四番送りバント、五番左前打、六番は敬遠で満塁策に対し、七番新井のレフト犠飛によるサヨナラ勝ち!ついに甲子園!!
ここまでの群馬大会の振り返りを大変冷静に語る武藤氏、当方から「決勝戦に勝ち、母校の甲子園初出場の感慨は?」の問いに「(大会中の一試合)ただ一つの試合が終わっただけです。」と淡々としたコメント。「究極の平常心」ということか?
大会後に届いた恩師からの手紙
【2002(平成14)年 第84回全国高校野球選手権大会】
第84回選手権 対遊学館3-8
創部2年目の遊学館だが、前年度星陵中(石川県)の優勝メンバーと監督がそのまま遊学館に残ったチーム。バーチャル高校野球(朝日新聞)によると、「桐生市商は2回のスクイズ失敗などで序盤の好機をつぶし、相手投手の小嶋を波に乗せてしまった。」
武藤氏「中井は、群馬大会終了後、肘を痛めてしまい約2週間ノースローで療養していました。試合の前日に試しにさせたピッチングは素晴らしいの一言でした。でも2週間ノースローのまま『ぶっつけ本番』はさすがに…」悔やまれたがやむを得ないだろう。
【恩師からの手紙】
甲子園が終わった後に、前述した恩師でもあり甲子園出場時に残留部隊の面倒を見てくださった恩師堤利夫氏(すでに退職されていた)から一通の書面が届いた。
「開会式で行進している桐商の選手の勇姿を目に焼き付けようとしたら、涙があふれてきて、全然見えなかった…」堤先生らしい素朴な、でも心のこもったコメントだ。堤イズムは「究極の平常心」と素朴な心が継承されたのだろう。
「群馬の高校野球(1969~2018)みやま文庫発行」の武藤氏の寄稿文「”桐商”初優勝」の結びには、「4月に就任したばかりの新米監督をここまで連れてきてくれた選手たちには感謝しかない。」
まさに堤イズムの継承と言える結びだ。
(第32回へ続く)
プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。
群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。
1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。
とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。
その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。


