髙田勉氏コラム第3回

「試合に先立ちまして両校のスターティングラインナップならびに担当審判を発表いたします」

群馬県内の高校野球大会を観戦に行くと、主に女子マネージャーの放送でほとんどの試合が放送される。

大会運営にとって、試合のスムーズな進行の重要な役割を担っているアナウンス役は大変重要なポストである。

筆者の経験上、関東高校野球大会における試合アナウンスの現状は、「群馬県は関東において、アナウンスは圧倒的にトップクラス」であるということ。

このようなアナウンスがしっかりしている群馬県の高校野球運営のルーツは1983年に遡る。

それは桐生市で開催された、“あかぎ国体”こと「第38回国民体育大会」。本国体の高校野球競技で担当した、「桐生市立商業高校」の女子マネージャーによるアナウンスである。

国体でのアナウンスという大役

浅見さんはあかぎ国体高校野球が桐生市で開催すると決まるやいなや、「こりゃ大変なことになった」と感じた。

一般的に考えるのは、国体開催県は高校野球競技においても自動的に一校出場できるので、「我がチームを強化し、地元開催である国体出場を目指そう!」が通り相場の野球部長の思いである。

だが、当時高校野球連盟の式典担当副理事長職を務めており、桐生市立商業高校野球部の部長でもあった浅見勝興さんは、全く別の次元で考えていた。

「桐生市開催となれば、桐生球場・広沢球場における試合のアナウンスは桐生市内の学校の女子マネージャーが請け負うことになるだろう」

今は県立桐生清桜高等学校として統合されているが、統合前にあった当時の桐生南高や桐生西高に女子生徒はいるものの、まだ学校自体の歴史が浅かった。そのため、部の運営でマネージャーのアナウンスの指導にまではとても手は回らない。

桐生商は浅見さんの指導もあって大会のアナウンスも少しずつ板についてきた時期だったが、いわゆる正式に高野連から委嘱されたわけでもなかった。

三段論法的には必然的に桐生市立商業の女子マネージャーが、「国体本番のアナウンス」の重責が回ってくることを直感したのだった。

まずはなんといっても何かお手本を真似て、それをマニュアルにして練習しようと考えた野球のアナウンス。とりわけ高校野球のアナウンスは、言わずと知れた「高校野球の聖地」である甲子園球場のアナウンスだった。

聖地で得たアナウンスをマニュアル化

浅見さんは国体数年前から手弁当で、甲子園球場に出向いてラジカセで録音。それを基にあらゆる場面に対応できるケース毎のアナウンスマニュアルの作成に取りかかった。

その甲斐あってか、桐商のマネージャーのアナウンスの技量は格段に進歩。あかぎ国体高校野球競技の当日を迎える頃には、「押しも押されぬ」立派な「ウグイス嬢」になっていた。

当時筆者は教員採用2年目、出場校の「チーム付き」で”やまびこ打線”で名を馳せていた徳島県池田高校の担当であったが、残念なことに池田高校は諸事情で出場を辞退。

図らずも「式典表彰」の係になったことで、アナウンスを担当する桐商マネージャーと至近距離の役目を担った。

第38回国体本番はPL学園の桑田真澄・清原和博の“KKコンビ”や、横浜商業の三浦将明、中京高校の野中徹博・鈴木俊雄など甲子園のスター選手が集まっていた。

マネージャー達は浮き足だって、本部放送席でキャーキャー黄色い声援を送る始末。「静かに!」と注意することしばしばだったが、無事に閉会式が終了すると皆涙を流しながら充実感に浸っていたことを思い出す。

高校野球の裏方ともいえるアナウンサーにおいても、全国大会である国体の大舞台の重圧はいかばかりかと感じた。

その後群馬県高野連では大会運営におけるアナウンスも重要な役割と捉え、コロナ禍の令和2・3年を除いた毎年シーズンオフになるとアナウンス講習会が行われる。

プロのアナウンサーを講師に招き、各校のマネージャー(時には男子部員も参加)がその腕(アナウンス技術)を磨く。

そのルーツはあかぎ国体の桐生商業だ!

第4回へつづく

プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。

群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。

1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。

とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。

その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。