
決勝戦は大勝で、深紅の大優勝旗が掌中へ
待ちに待った決勝戦、いよいよ試合が始まった。
1回表:岡山理大付は、2番・松下隆信ががヒットで4番・森田和也が四球。チャンスに5番・馬場雅央が左前打で先制し、この時の一塁側観客席は狂喜乱舞。桐一劣勢のスタートだった。
1回裏:桐一は、1番・斎藤芳美が初球を三塁打にすると、3番・栗原久典のライト犠飛で同点。
この時点で筆者は、「この試合はもらった」と確信があった。6試合目なのに、桐一には余裕すら感じられたからである。
桐一は、2回以降小刻みに加点、7回には4番・大廣翔治の2点本塁打も出て5点を追加、14-1の圧勝。ついに深紅の大優勝旗が桐一の掌中に。優勝旗が舞い込んでくるとは…拍子抜けのような印象すらあった。
決勝戦での得点としては、2008年度第90回北大阪代表の大阪桐蔭(17-0常葉菊川)に破られるまで戦後最多得点だった。
正田樹投手は4連投、この日中指の血豆の血を抜いたらしい。4連投についてだが、「県大会の準決勝、決勝の連投は2試合なのにもう投げられないほどの疲労」(正田談)だったが、4連投…「決勝戦の終盤で信じられないようなすばらしい投球」(福田治男監督談)だった。
決勝戦が接戦、あるいは終盤の逆転勝利だったりすれば、もう少し手に汗握る瞬間や勝負のポイントなど詳細にコメントするべきだが、前述したとおり、筆者は2回の2得点以降全く危なげない展開に余裕すら感じてしまっていた。
今も大切にしている“宝物の一枚”
【県教委ご一行様の祝杯】
勝利の余韻も覚めやらぬ時、群馬県大阪事務所から、「祝杯をあげますから、球場前の居酒屋(現在は甲子園球場リニューアルに伴い閉店)に教育委員会の方もご一緒にいかがですか?」とお誘いを受けた。
だが、当方は帰路の時刻の確認からお誘いを丁重にお断りして帰路につく。新大阪駅で多少余裕があったので、駅舎内のレストランにてご一行6名で生ビール乾杯!こんな美味しいビールはあまり経験がなかった。まさに勝利の美酒だ!
【新幹線車中で教育長の祝辞を決裁】
甲子園で優勝ともなれば、報道から教育長の祝辞文を求められるので、美酒にやや酩酊しながらも手書きで教育長の祝辞文を作成。
車内で教育長直々に決裁をもらい、車内から上毛新聞に電話で伝える。通常はあまりない対応だった。
【一枚の写真】
筆者が宝物にしている一枚の写真がある(別掲)。
自前のインスタントカメラで撮影(後刻デジタルデータ化)したモノだが、日付:1999.8.21、時刻15:50、正面右に桐生第一高校の校旗が掲揚されている。優勝の瞬間(校歌斉唱時)の写真だ。インスタントカメラだが、我ながらよく撮れている。
撮った瞬間思わず涙が出てきた。選手でも指導者でも連盟役員でも、OBでもなく、教育委員会高野連担当課の指導主事としてこの幸運に遭遇したことの感慨も一入だった。
以来、筆者はPCの「壁紙」にこの写真を載せ、つらいことがあるとこの写真を見ながら自らを鼓舞した。また、人前で講義・講演等話しをする際に必ずこの写真を資料に印刷している。
(第24回へ続く)

プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。
群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。
1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。
とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。
その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。


