桐生タイムス復刻記事3 60年前の甲子園決勝 あわや幻の本塁打(2015年9月7日)

桐生タイムス復刻記事3 60年前の甲子園決勝 あわや幻の本塁打(2015年9月7日)

桐高黄金世代4選手・座談会

「あのときのホームランは、今でもよく覚えてる。たいした打球じゃなかったんだよな」 (今泉)、「たしかホワーンと舞い上がった感じだった。ライトポール際にゆっくりとね」 (小柴) 。  

全打席敬遠するはずの強打者・坂崎と、1度だけ勝負しての逆転本塁打。初優勝を逃した桐高ナインにとって、生涯忘れることのできない光景となった 。  

逆転本塁打を打たれたとき、オヤジはどんな気持ちだったろうー。4人は今でも、当時の稲川監督の心中を察することがあるという 。  

「あの人が怒るときはカアーっとなっちゃう。いわゆる熱血漢。雷が落ちる感じ。あれからずっと怒られ続けた」 (田辺)、「オレはあんまり怒られた記憶ないな」 (今泉)。そう言いながら2人は顔を見合わせて大笑いした 。  

「やるべきことはやった。それで終わり。打たれた後は監督の方を全然見なかった。しょうがねえやと思ってね」 (今泉)、「ベンチ帰ったら監督が怒ってたのを覚えてる。すごいけんまくだった」 (小柴) 。  

「夢だった全国制覇を目の前にして、オヤジ (稲川監督) も勝ちたかったんだと思う。自分もそうだった」と振り返る田辺。

「監督の指示通り坂崎を歩かせていたら、試合はどうだったろうなあ」と、もう一つの物語に思いをはせる 。  

さて、その伝説となった逆転本塁打に、ある疑念があったのをご存じだろうか 。  

「あのとき実は問題が起きとったんだって? 打者が一塁走者を追い越したって話があってね」。田辺の言葉に、一同がいっせいに身を乗り出す 。  

「そうそう。一塁走者は止まって打球を見ていたのに、坂崎はどんどん走っちゃったっていう話」 (小柴)。

野球規則では、打者が走者を追い越したらアウトとなり、もし本当なら幻の本塁打となる 。しかし、実際に追い抜いた場面を見たという確たる証拠はない、という 。  

「しばらくしてスタンドから『追い越したんじゃないか』って声が聞こえた。

でも試合は進んでたからね。もしそうだったとしても、時すでに遅しだよ」 (田辺)、「そんなことあったっけ。オレは全然覚えてないなあ (笑)」 (今泉)。真相は果たして―。

(つづく、敬称略)

【60年前の甲子園決勝】

昭和30年(1955年)春の甲子園決勝で、桐高は浪商(現大体大浪商)と戦い、桐高の稲川東一郎監督は前夜、浪商の強打者・坂崎一彦選手の全打席敬遠四球を指示。

桐高は4打席敬遠したものの唯一勝負した打席で本塁打され惜敗した。エースの今泉喜一郎さん(78)、主将で捕手の田辺義三さん(78)、1学年下で野手の小柴輝夫さん(77)、山口恵一さん(77)が当時を振り返る。

資料協力:桐生タイムス


伝説の本塁打を放った、浪商・坂崎選手(前列)と、打たれた桐高・今泉選手(後列中央)
閉会式で準優勝旗を受け取る田辺主将を見守る桐高ナイン(甲子園球場で。写真提供・2枚とも小柴さん)