桐生タイムス復刻記事1「桐高の伝説バッテリー語る ~ ”坂崎大明神”の連続敬遠~」(2015年8月19日)
高校野球100年の大会が開催中の甲子園。あすはいよいよ決勝戦の予定だ。春夏46回の出場を誇る桐生勢にとって、語り継がれる伝説の名勝負といえば、昭和30年(1955年)春の甲子園決勝戦だろう。
桐生高校の今泉-田辺の名バッテリーが、“大明神“と恐れられた浪商のスラッガー坂崎に挑んだ試合。他の全打席を敬遠しながら1度だけ勝負し、本塁打を浴びて延長の末に敗れた。なぜ勝負したのか。伝説のバッテリーが60年ぶりに当時を振り返り名場面の真相を明かした。
「あれから監督に怒られっぱなしだよ」と苦笑いするのは、当時の桐高主将で捕手の田辺義三さん (78)=足利市小俣町=。エースの今泉喜一郎さん (78)が「オレはあんまり怒られた記憶ないな」とつぶやくと、2人は顔を見合わせて大笑いした 。
1年後輩のチームメート小柴輝夫さん (77)=同市相生町=と山口慶一さん (76)=みどり市大間々町=のお膳立てで、7月下旬に同市内で実現した“伝説のバッテリー対談” 。60年前の名勝負の舞台裏を2人で振り返るのは初めてのことだ。
決勝前夜のミーティング。桐高の名将・稲川東一郎監督は「坂崎大明神」と書いた紙を宿舎に張り、浪商・坂崎一彦選手の全打席敬遠四球を指示。「満塁だったらどうしますか」と田辺さんが質問すると、稲川監督は「当然歩かせるんだよ。1点で済むじゃねえか」と語ったという 。
試合当日。坂崎選手の1、2打席目は監督の指示通り歩かせた。
運命の3打席目は六回裏1死一塁。桐高が逆転して2-1とリードしている。初優勝は目前。捕手の田辺さんの心に「どうしても勝ちたい」という欲が出た 。
「くさいところ(ストライクとボールの境界付近)を突こう」。
そんな田辺さんのサイン通りに投げ込む今泉さん。投手有利の2ストライク2ボールになり、勝ちたい思いがさらに膨らむ。
左打者の外角低めを狙った5球目。四球覚悟の誘い球のはずが、あわよくばと中途半端な勝負球になる。フルスイングする坂崎選手。打球は放物線を描いて右翼ポール際へ。逆転の2点ホームランとなった 。
桐高は九回土壇場で追いつき延長戦に持ち込んだが、延長十一回裏1死満塁からスクイズを決められ3―4で万事休す。サヨナラのホームを踏んだのは、この試合4度目の敬遠四球で出塁した坂崎選手だった 。
92年夏の甲子園で物議を醸した5打席連続敬遠。その37年前に起きた連続敬遠をめぐるドラマが終わった 。
今泉さんは「あそこで坂崎を打ち取れれば行けるという気持ちだった。本音では勝負したいという気持ちはあったよ。投手として無条件で歩かせるのは嫌なものだからね」と、たった一度の勝負を笑顔で振り返る。
田辺さんは「あれから監督やOBに怒られ続けてね。『おまえが悪い』って。監督の夢だった全国制覇を目の前で逃したんだから。でも、坂崎を全打席歩かせてたら、試合はどうだったろうなあ」と豪快に笑う 。
坂崎さんと一緒に振り返りたかった
高校卒業後にそろってプロ入りし、しのぎを削った今泉、田辺、坂崎の3選手。引退後はほとんど交流がないまま、昨年1月に坂崎さんの訃報が届く。「生きているうちに、あの試合を一緒に振り返りたかったな」。2人は青春をともにしたライバルの死を惜しむ 。
資料協力:桐生タイムス

