オール桐生

桐生に誕生した日本で戦後初の社会人野球チーム

『全桐生(オールキリュウ)』

戦後初の野球チームが希望の光に

終戦直後、復興の意欲すら起こらず途方に暮れていた時に、軍隊や海外から復員してきた桐生中や桐生工出身OBらが稲川東一郎監督の元で、いち早く練習が始まり、戦後の日本における初めての社会人野球チーム「全桐生」が結成された。 メンバーは阪急の中村栄、阪神でプレーした青木正一、皆川定之、三輪裕章らの元プロ野球選手が多数在籍しており、「そのままプロで戦ってもおかしくない」と評判だった。

終戦3か月後の昭和20年11月24日には、桐生新川球場(現:新川公園)でプロ野球の東西対抗戦第2戦が開催され、その翌日の11月25日には同球場にて、プロ野球東軍と全桐生が対戦。延長12回の大熱戦の末、8対7で全桐生がサヨナラ勝利し、観衆は熱狂して全桐生の健闘を称賛した。

日本野球連盟に加入したセネタース軍との東軍vsオール桐生 

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
東軍 0 0 0 1 0 3 2 0 0 1 0 0 7
オール桐生 0 0 1 2 0 0 4 0 0 0 0 1x 8

場所:新川球場
勝利投手:常見茂 
敗戦投手:白木義一郎
二塁打 (中)加藤正二、(桐)皆川定之、木暮力三
三塁打 (中)加藤正二
本塁打 (セ)大下弘 猛打賞 東軍(中)加藤正二(4安打)、金山次郎

翌年の昭和21年の夏、全桐生は、戦後初開催となる第1回全国都市対抗野球大会に出場。全大阪、八幡製鉄、愛知産業との3試合はともに延長戦の逆転勝利で決勝へ。岐阜県大日本土木との決勝戦は健闘むなしく1対3で敗れ準優勝であったが、終戦直後の荒廃した世相の中で「全桐生」の活躍は、沈みがちだった市民に明るい話題と活力を強く与えてくれた。

昭和21年8月 全国都市対抗野球大会決勝
全桐生対大日本土木(開催地:後楽園球場)

全国から招待された有料試合を

オール桐生の名は県外にも知れ渡っていた。都市対抗で優勝した後、東日本の雄として、北海道から中部一円の地域に招待され毎週のように試合に出かけていた。新潟遠征では電信柱に「強豪・全桐生来たる」と看板が掲げられ、球場はお客さんでいっぱいに。 ノンプロチームとして試合は有料で行われ、貴重な収入源にもなっていた。

5年で解散

プロ野球の復活に合わせ、セミプロのように活動していた全桐生から多くの選手がプロ野球チームへ入団。また社会人野球からの誘いも多く、稲川東一郎氏も桐生高校の監督業へ専念するため全桐生は解散した。 野球という競技を通して、戦後の日本が復興へ向けて力強く進むための希望を与え、全桐生はその役割を終えた。

戦後の日本に希望を与えた
   幻のオールスターチーム

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