髙田勉氏コラム 最終回

桐生西・桐生南が排出した挑戦者の面々

(桐生南高校の続き:前号の結びから)
しかしながら野球部の卒業生の中には中庸の道を選ばず、経済界や野球界に打って出た新たな領域を切り拓いた挑戦者が多数存在する。

【多彩な人材を輩出】
桐生清桜高校の前身にあたる桐生南・桐生西の両校の野球部卒業生には、野球はもとより、驚くべき経歴の持ち主が多数いる。列挙すると次のとおりだ。

(1)荻野恭大氏(桐生西)

地元のBCリーグ群馬ダイヤモンドペガサスの投手として活躍。2025年シーズンで引退。現在27歳

 「球都桐生プロジェクト・球都桐生の歴史・特集:桐生の高校野球」の桐生西高校・荻野氏のインタビュー記事「スタンドから確かに聞こえた『お前たちは桐生の誇りだ!』」の声が鮮明な記憶だという。

これは、3年次の夏の大会敗戦後にスタンドから聞こえた声で、「試合中は集中しているのでスタンドからの声はあまり聞こえないが、敗戦後気が抜けた状態だったので聞こえた」という。

荻野氏「桐西で得られたものは『野球の楽しさ』。小中の頃はやや苦しいこともあったが、桐西では1年次からピッチャーを経験し順調に成長、3年次は2016(平成28)年第98回選手権群馬大会において、同校初の夏の大会ベスト8の立役者だ。

(2)中山慎也氏
桐生南高校→城西大→JR東海→オリックス(10年)

2006年~2015年の通算成績:登板178、先発68、完投5、18勝32敗1セーブ17ホールドの成績を残した。
NPBに10年間在籍し、先発68試合は立派な成績だ。現在44歳。

(3)仲野伸洋氏
桐生南高校→日本体育大学→ニューヨーク州カニシャス大学、テキサス州ヒ ューストン大学大学院→西濃運輸野球部トレーナー→現在阪神タイガーストレーナーとして大活躍。

阪神5年目の2023(令和5)年には、チーフトレーナー補佐として、タイガース日本一の「裏方としての立役者」になった。選手からの信望も厚い。現在49歳。

2025(令和7)年12月12日には、桐生清桜高校(母校の旧桐生南)で道徳教育推進事業 講演会『夢を叶える4つのヒント』と題し講演をしている。メジャーな存在になっても謙虚に母校への恩返しの気持ちをしっかり持ち、実践している人物だ。

(4)荒井正昭氏(桐生南)
一代で東証一部(現・プライム)まで会社「オープンハウスグループ」を成長させた創業者。現在60歳

 「東京ヤクルトスワローズ」(NPBセントラル・リーグ所属)のトップスポンサーをはじめ、東京六大学野球の配信サービス「BIG6.TV」のタイトルスポンサーとしても有名。

以前は大谷翔平選手、現在は村上宗隆選手のスポンサーをするなど野球界に多大な貢献をしている。

また、太田市をホームタウンとするプロバスケットボールチーム「群馬クレインサンダーズ」の会長でもある。

(5)荒木重雄氏
日本IBMをはじめ、欧米の外資系通信会社の要職を経て、プロ野球界に転身。

千葉ロッテ執行役員→パシフィックリーグマーケティング取締役→NPB特別参与→NPBエンタープライズ執行役員、全日本野球協会理事を歴任。

また、高校3年次に読売巨人軍の入団テストを経て2軍での練習も経験。現在62歳

千葉ロッテでは短期間で経営状態をV字回復に導いた球団改革や、パ・リーグ6球団による事業会社の立ち上げ、侍ジャパン事業の立ち上げなどを経験。

現在は、球都桐生プロジェクト事業を桐生市に提案し、展開している株式会社ノッティングヒルの代表をつとめる。

「本当はユニフォームでグラウンドに立つことが夢だったが…それが叶わずビジネスで野球に向かった。」と語る。

(6)佐瀬守男氏(桐生南)
一代で東証一部(現・プライム)まで会社「築地銀だこ」の創業  者。現在、ホットランド代表取締役。現在63歳

 「築地銀だこ」は、現在は日本全国に500店舗以上を展開しており、海外にも60店舗ある人気チェーン店である。中でもNPB球団のホームスタジアムのうち、10球団の本拠地に店舗を展開。

さらにドジャースタジアムにも店舗を持つなど、国内外の野球界に貢献している。単に経営拡大というより「自身のルーツは高校野球にある証」と感じるが…

上記(4)~(6)の三氏は、現在の経済界でもトップクラスの人物である。中でも荒井氏、佐瀬氏においては記述のとおり「一代で東証一部(現・プライム)まで会社を成長」させた方々である。

同世代、同じ高校の野球部卒業生に複数、全国でもトップ経営者がいることには驚きである。年齢も近いことから三人で時折交流があるという。

(7)倉俣徹氏
桐生南高校→東京学芸大→群馬県公立高校教員→読売巨人軍で通訳・トレー ニングコーチ→ジャイアンツベースボールアカデミー初代校長→振興部長を歴任。現在64歳

筆者にとっては、同業(高等学校保健体育科教諭)出身で年齢も近い存在である。

一般的に公立高校の教員職といえばある程度の安定感や社会的な評価もある職であり、終身雇用のケースが多いが、それを心機一転NPBのトレーニングコーチに転身したことには、当時大変大きなインパクトを感じた。

しかも読売ジャイアンツとなると、メディアへの露出も大きく、外人投手の通訳もされていたシーンは記憶に鮮明だ。
現在は、中学生硬式野球の新しい形「ポニーリーグ」のまさに中心にいる指導者だ。

球界に限らずこのような突出したとも感じられる多彩な卒業生を輩出していることは、前述した「バランスの良い生徒の成長を目標にした学校目標」とは対照的に「新たな領域を切り拓いた挑戦者」の強固なスピリットを感じる。

最後に筆者からのメッセージ

事情により本コラムは、今回が最終回になる。コラムが縁で、桐生高校の卒業生・関係者、指導者、選手等とお話をする機会を得、多角的に桐生の野球を見る機会に恵まれた。

中でも桐生市史編さん室係長である小野里了一氏には度々の取材にも対応していただいた。絶大なる協力に、改めて感謝をお伝えしたい。本コラムを引き受けなければお目にかかれなかった方である。

やはり桐生は全国に誇る球都だ。市内の高校6校中5校が甲子園を経験し、傑出した指導者の存在、素晴らしい歴史を有する野球場を持ち、市民からの絶大な支援を得るなど、数えればきりが無いほどのベクトルが球都桐生の野球に向かっている。素晴らしいの一言だ。

球都桐生プロジェクトの取り組みが将来に向けてあらゆる世代の野球人、スポーツマンから一般市民に至るまで、心身両面で健康を享受することを祈念すると共に、このような機会を与えていただいた関係各位に感謝をお伝えし結びとしたい。

(おわり)

プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。

群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。

1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。

とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。

その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。