
準決勝は息詰まる投手戦、そして決勝へ
【ワンチャンスの準決勝・県教委ご一行の裏話・決勝戦試合前の様子等、前号からの続き】
(5)準決勝(対樟南):2-0
当日の朝一番の新幹線で甲子園にむかった教育委員会の担当官である上司と筆者は、第2試合の阪神甲子園球場に向かった。
桐生第一対樟南(鹿児島)の準決勝戦は桐一・正田、樟南・上野の両投手によるまさに息詰まる投手戦で、8回まで両チームゼロ行進、樟南上野投手のするどい変化球に手も足も出ない様子。
1メートル手前のワンバウンドのボールを空振りするような展開に筆者は、「得点は難しいんじゃないか。」「エラーか長打で決まってしまうのか…」と膠着した試合展開の戦況を見ていた。
迎えた9回表の桐一は、一死後4番。大廣翔治選手がセンター前ヒット、5番・関口智久選手がライト線2塁打で一死2・3塁のチャンス。
ここで満を持して送り込んだ代打・熊川紀将選手だったが、あえなく三振。続く7番・高橋雅人選手の右中間3塁打でついに先制2得点。
その時のことを青柳氏。『相手の上野投手はとにかく強気の投手で、高橋に対しては徹底的に直球勝負に出た。直球で打ちとりたいと「投手の性(サガ)」が出た投球でした。
そのことが甘いボールになったんでしょうか。野手も打者高橋を甘く見ていたのか、通常の守備位置よりかなり浅かったこともありました。…これが勝負のアヤでしょうかね』
もちろん、それまでの桐一の正田投手を中心の堅実な守りが無失点だったこと、たった一度といっても過言でないチャンスに打った高橋選手を褒めるべきは当然だが…上野投手の持ち味の「強気」がたった一度の「スキ」を作ったのかもしれない。
最終回裏の樟南の攻撃を三者凡退で退けゲームセット。決勝戦進出を決めた桐一の勝利は、教育委員会の我々にとっても素晴らしい勝利だった。
と同時に「教育長随行業務」のスタートだ。勝利の瞬間すぐに職場に架電し、翌日の決勝戦に向かってくる県教育長以下と新大阪駅で待ち合わせることを確認。
その後は、…決勝進出の美酒を同行の上司と心斎橋の焼き鳥屋で挙げた祝杯の生ビールと焼き鳥の味は忘れられない。
(6)決勝(対岡山理大付)
前日の打ち合わせ通り、新大阪駅に県教育長・同随行・保健体育課長・同随行の4名を出迎えた「県教委ご一行様」。午後1時開始予定の阪神甲子園球場に向かった。
決勝の甲子園球場の混雑は筆者も初めての経験。席を取るのもけんか腰で取り合う有様。教育長だからといって特別扱いしてくれない。
やっと6名の座席を確保し観戦。だが相手サイドを見ると圧倒的な人数と迫力、応援席の様子は、8:2で岡山理大付の優勢か。
『バックネット裏からずーっとアルプス席まで一杯が岡山の応援団』ここで青柳氏が思わぬ光景を目にした。『係員が何人かの観客と思われる人を引き連れて、観客席の混雑ぶりを確認させていた。』(青柳氏)
つまり球場係員が、「ご覧いただいたとおりの混雑ぶりで入場券は販売できないんです。」とどうしても入場したいファンを納得させるための対応。
まさに高校野球ファンの熱狂ぶりが窺える逸話だ。さあ決勝のプレーボールだ!
(第23回へ続く)
プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。
群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。
1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。
とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。
その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。


