
桐生野球の歴史に欠かせない、99年桐生第一高の全国制覇
球都桐生を語る時には群馬県勢初の甲子園優勝、1999(平成11)年「第81回全国高校野球選手権大会」の桐生第一高校を抜きにはできない。
今回の執筆にあたり、当時の野球部長(責任教師)だった青柳正志氏にインタビューをさせていただいた。
青柳氏は平成2年度から野球部長としてチームを鼓舞し牽引した方で、筆者とは高野連の理事仲間の時期があり、筆者にとっては高野連の先輩としてご指導いただいた旧知の間柄でもある。久しぶりにお目にかかれたなつかしい先輩は、
「現場から離れて10年経過し、もう古希です。あまりよく覚えていないこともたくさんありますが…」と控えめにお話しする姿は、とても年齢を感じさせない、若々しさを感じる方だ。
以下青柳氏のインタビューの内容と併せて、全国優勝記念誌「全国制覇」(2000年3月吉日、桐丘学園発行)を参考にし、書かせていただく。
この記念誌は、当時教育委員会事務局の筆者に青柳氏から直々にいただいたものだ。(以下『』内は青柳氏の言葉の引用)
【創部】
昭和60年4月桐丘高校野球部は、福田治男監督(桐生市出身、上尾高校ー東洋大学)を迎え、創部した。野球部創部に際しては、『高橋博(当時理事長、校長)先生のお考えが、中心だったと思う。』
平成元年に校名変更し桐生第一高校となった。高野連の会議の席上、当時の群馬県高野連会長が「強うそうな名前に変わったですね」とのコメントは記憶に残っている。
【青柳正志部長】
青柳正志氏は、平成2年度~平成28年度、野球部長に就任。
平成2年度以前は、軟式野球部の顧問だった。『福田監督から高橋博理事長(兼校長)に推薦したことで私の部長就任が実現した。』
ここからは、筆者の想像だが、福田監督からの青柳氏の部長就任の推薦理由は、①野球の経験がある②公務をしっかりこなす教員③他の教員から人望が厚い④野球部の精神的な支えになってくれる人柄…以上を兼ね備えている人だ。
とにかく福田監督との信頼の絆の強さは青柳氏の言葉の端々から感じ取れた。
【選抜初出場、そのチームの夏の敗戦】
第63回選抜高等学校野球大会ベスト8、これは創部6年目にして初出場の野球部にとっては、いきなりの晴舞台で注目され、結果を残したことで、時にはアイドル並みの扱いをされる存在だ。
青柳氏は、『いきなりの甲子園ベスト8になって、選手も保護者もなんか満足感、達成感に浸ってしまい。群馬に戻ってからも、準備が整わない状況で春をそして夏を迎えました。』
1回戦、2回戦は難なく勝ったものの迎える3回戦、筆者は記録員として高崎城南球場のバックネット裏にいた試合、…敢えて言わせてもらえば「ふがいない惨敗」だった。
【チームの立て直し】
夏の敗戦から新チームに向き合うに際して、福田監督と確認し合ったことは『とにかく高校野球の原点に立ち返ろう』だったそう。ここから、最強コンビ青柳・福田の真骨頂が発揮され、巻き返しが始まる。
(第20回へつづく)
プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。
群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。
1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。
とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。
その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。


