
桐生野球を支えるもうひとつの球場
広沢球場に続いて、市内境野町にある境野球場だ。昭和39年に軟式野球専用球場として開業。開業当初の名称は「東群馬スタヂアム」。
昭和42年ナイター設備を設置したことを受け、こけら落としの試合を明治大学対日立製作所で硬式球にて開催予定だったが、日立製作所の主力欠場で、なんとプロ野球イースタンの大洋(現:DeNA)対サンケイ(現:ヤクルト)により開催の運びとなった。
桐生タイムス1967年(昭和42年)8月31日付の記事には
「“イースタンに変更 東群馬球場の記念試合” 三日(9/3)にオープンする境野町・東群馬スタヂアムは開場記念試合※に明大対日立製作所の異色カードを予定していたが、二十六日、日立製作所から主戦投手が肉離れのため出場できないとの連絡があったため、急遽イースタンリーグ、大洋-サンケイ戦に変更した。
残り試合の少ないチームをえらんでのこの組合せになったになったという。プロ野球球団なので球場が狭いとはじめ難色をみせたが、球場側で球を用意することで話がついた。
ホームラン続出のゲームになりそう。無料なので、一般客の来場が予想されるが観覧施設が少ないので、球場側では、花火大会のように桟敷席を用意しようかという案もある。それでもせいぜい五百人が限度なので対策を思案中だ。」とある。
※開場記念試合とあるが、照明施設完成のこけら落としのこと。
大学と社会人のオープン戦は筆者も経験があるが、それであっても地方都市の球場では異例だ。さらにその代替案で急遽プロ野球の試合を設けるなど、今ではとても考えられない。
バックナンバー「新川球場」でも触れたが、プロ野球のオールスター戦(東西対抗野球)が開催されたり、これも急遽の代替案だったが、中央球界にいくつもパイプを持っている桐生市の野球関係者の尽力によるモノであることは宜(むべ)なるかなである。
ナイター施設ができたことで、子ども達は、ナイトゲームの観戦にはわくわくしたことだろう。夜でも野球が(観戦)できる球場…当時からアマチュア野球のメッカだった。
本コラムのバックナンバーでも紹介したが、当時の桐生市にはたくさんの事業所の野球チームがあり、○○事業所杯なる大会は目白押しだった。
そういった地域の姿もあり、桐生市当局も球場のメンテナンスなどもたくさん注力したことが想像される。照明設備の設置もその一環だと推察される。無料試合への対応も(予算面も含め)大変だったと想像する。
ちなみに今年度(令和7年度)の境野球場の予約状況(公益財団法人桐生市スポーツ文化事業団による)は(45日中)、学童野球とスポーツ少年団の大会:35日(全体の77.8%)、中体連7日(同15.6%)、一般3日(同6.7%)である。
一方、広沢球場の予約状況は(同事業団)(97日中)、スポーツ少年団8日(全体の8.2%)、中体連7日(同7.2%)、中学校硬式(ボーイズを含む)31日(同32.0%)、高野連17日(17.5%)、一般34日(35.1%)であることから、軟式野球専用球場という側面もあるが、現在の「学童野球の聖地」はまさしく境野球場といえる。
広沢と同様、境野球場も様々な歴史を紡ぎ、現在では、桐生の野球のベーシックな基盤を支えている球場だ。
(第19回へつづく)
プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。
群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。
1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。
とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。
その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。


