
広沢球場の歴史と未来
小倉クラッチスタジアムに続いては、広沢球場だ。ふたたび小野里了一氏(桐生市史編さん室係長)にお話を聞き、資料(ヒント)の提供をいただいた。
広沢球場は、1983(昭和58)年開催の第38回国民体育大会(あかぎ国体)の高校野球競技の会場として、大会開催の2年前の昭和56年に開業された球場。
南公園の整備再開発の一連の事業として、昭和50年代の斎場移転に伴い野外ステージ、テニスコートなどと共に南公園の一角に開業。
再開発の計画の中には、学園都市構想?もあったそうで、桐生市と姉妹都市の一つである、米国ジョージア州コロンバス市のコロンバス州立大学の招致の話もあったらしいが、諸般の事情で立ち消えになった。
こけら落とし(1981(S56)5.10))には、早稲田実業学校(荒木大輔投手を擁し第53回選抜高校野球大会出場)を招待し、第1試合は桐生高校、第2試合は高崎高校が迎え撃った。主催:群馬県・東京都高野連。主管:群馬県高野連。協賛:桐生市により開催された。
結果は桐生0-4早実、高崎5-4早実だった。収容人数5,000(球都桐生プロジェクト公式HP)のところ、なんと6,500人の大観衆が詰めかけ声援を送った。(桐生タイムス1981(S56)5.11付)
ちなみに勝利した我が母校高崎は、開校以来甲子園初出場を果たした第53回選抜高校野球大会出場のチームだった。
当時の高崎高校野球部長の田端穣氏(筆者の高校時代の恩師)に試合のことをうかがったところ、「試合は特に印象はない。あちこちの招待試合に招かれているからか、荒木大輔投手がやや疲弊していた」様子だったという。
当日は東京都・群馬県高野連の共催の招待試合だったことから、「背番号を着用せよ」の指示だったが、桐生高校が背番号を忘れてしまったので、高崎高校の背番号を貸してあげたことが印象深い出来事として記憶に残っているという。
また、前出の小野里氏にとって、広沢球場は、あかぎ国体において、中京高校と本県代表の太田工業高戦を見に行き、野中(中京高校のエース、同大会優勝投手)の投球は鮮明な記憶にあるという。
時は経ち本年9月4日に球都桐生ウイークの一環として開催された、「広沢球場サブグラウンド改修視察会」において、球都桐生プロジェクトスペシャルアドバイザーである齊藤佑樹氏(太田市出身、太田生品中、早実で第88回全国高校野球選手権の優勝投手、早大、日本ハム)がアドバイザーとして手がけてくださっているでことで注目を集めた。
来る2029(令和11)年本県開催の第83回ゆけむり国スポにおいては、高校野球競技は前回あかぎ国体から比べるとチーム数縮減、短縮ルール等により、広沢球場が会場にはならないことは残念だが、今後はアマチュア野球の聖地として「現在から将来につながる歴史」の1ページを飾ることを期待したい。
(第18回へつづく)
プロフィール

髙田 勉(たかだ・つとむ)
1958年、群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)生まれ。
群馬県立高崎高等学校では野球部に所属し、桐生勢とは“因縁”あるライバルとして白球を追う。その後は筑波大学に進み硬式野球部に所属。
1982年より群馬県内の公立高校で教鞭を執り、野球部の監督・部長として多くの球児を育成。
とりわけ前橋工業高校の野球部長時代には、1996・97年に同校を2年連続で夏の甲子園ベスト4を経験。
その後は群馬県教育委員会事務局、前橋工業高校校長、群馬県高野連会長などを歴任。2019年~2025年3月までの6年間、群馬県スポーツ協会事務局長を務めた。


