球都桐生の歴史-桐生工業高校編-

球都桐生の歴史 -桐生工業高校編-

桐生市が「球都桐生」と称される理由について、桐生野球の歴史を追ってご紹介いたします。
第二弾は桐生工業高校編

【桐生工業高校戦歴】
春の甲子園大会出場回数:2回
夏の甲子園大会出場回数:2回

【主な歴史】
1946年 第28回全国中等学校優勝野球大会出場 (現在の夏の甲子園)
1948年 第20回選抜高等学校野球大会出場
1952年 第24回選抜高等学校野球大会出場
1960年 第42回全国高等学校野球選手権大会出場

【1946年の甲子園初出場の軌跡】
戦後第一回目の夏の選手権大会で、桐生工業高校は群馬県大会と北関東大会を制し、甲子園に初出場
※以前は群馬県大会で優勝した後に、北関東大会も制覇しないと甲子園にはいけなかった。
北関東大会には桐生中(桐生高校)とともに出場し、決勝戦で桐生中に勝利し優勝した!
優勝後、新川球場(現新川公園)から学校までをパレードを行い市民は狂喜乱舞!
夏の選手権大会の結果は京都二中に初戦敗退。
当時は野球道具も少なく、練習後選手たちはそれぞれ自宅でボールの補修などをしていた。
ユニホームも揃うことができず、全国大会出場が決まってやっと同じユニホームを着ることができた。

【主な桐生工業高校出身の野球人】
・高野价司(たかの かいじ)元プロ野球選手(立教大-大映ユニオンズ-大毎オリオンズ)
・佐復良一(さまた りょういち):元プロ野球選手(桐生大同レーヨン – 福島日東紡-国鉄スワローズ)
・坂本登(さかもと のぼる):元プロ野球選手(日本大学-阪急ブレーブス)

戦後の桐生野球をいち早く全国に轟かせた桐生工業高校!
約60年ぶりの甲子園出場へ期待です


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